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境界のリプロダクション
境界のリプロダクション 境界のリプロダクション
「境界のリプロダクション」

2001年 CAMP前橋芸術会館(前橋)

ラプンツェル

あるいはコクーンの中の少女/魔女、あるいは母としての私

 

ラプンツェルは、12才になった時にはお日様の下で誰よりも美しい少女になっていたが、魔女によって入口もなければ階段もない高い高い塔に閉じ込められてしまった。12才は思春期の入口、これから大人になっていくのだが、女性と呼ぶにはまだあまりにも幼い。だから少女は繭の中にいる。それは魔女の意志であったが意識下では少女の意志でもあったかもしれない。矛盾と不安の思春期をあたたかいコクーンの中で安全に過ごせたら、、、。

一方魔女は子どもを育てる女、すなわち母である。生みの親はチシャと子どもをやすやすと交換した。そんな親よりももっと子どもを欲して育てたこの魔女は母である。魔女という、女性としては負の存在が、母の役割を演じていることが、私は嬉しい。
母は子どもを完璧に所有しようとするが子どもの自立によってそれは阻まれた。自分よりも恋人を選択してしまったのだ。

私は、少女と母のあいだを行きつ戻りつする。ある時は少女になりある時は母となってものがたりを辿る。実際私は初潮を迎える前の自分を思い出してドローイングすることはとても多い。産む性としての社会的肉体的制約を知らずに自分を楽しんだあのころ。その後の変かは不安ばかりで、だからコクーンが必要だった。私は少女だった自分を辿り。今の自分に少女を探す。だからラプンツェルに感情移入する。そして同時に『いいかおまえ!』と怒り狂った魔女は私自身である。母の愛は気高く美しいとは限らない。母の愛は加減を知らず。だから時には残酷なのだ。

私は慈愛に満ちた微笑みなど持たない魔女としての自分を辿り魔女を愛する。