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 福島世津子さんとの出会いは、彼女の文章でも触れているとおり、ドイツ・デュッセルドルフ市近郊にある小さな町メーアブッシュで開いた私の個展のオープニングで、だった。彼女は、『オープニングには滅多に出かけない』のに、私のには出かけてくれた。私はといえば、おおぜいの大きなドイツ人たちに囲まれて、ドイツ語まじりの英語苦しく、あ、あそこの方は日本人かしらと気づきながらも辿り着けず、最後の最後に会話が出来たのは奇跡のようなものだった。すると彼女は初対面の私を自宅兼アトリエに招いてくれたのだった。

 そしてその時、私は彼女と彼女の作品によって『種』を『蒔かれ』てしまったのである。彼女の作品が『種』であったからということと、作品に共振したというふたつの意味において。私の中における、コトバ、本、トレペ、などを扱ってきた感覚の領域で。

 個人的なことだが、私はずっと『飼育』も『栽培』も苦手だった。花は枯らすし、虫は死なすし、の人間で、種を蒔き、水をやり、肥料を与えて成長や収穫を楽しむなどという手のかかることは私にはできないことだった。同時にそれらのことを意識的に遠ざけてもいた。癒されて制作の根拠を失うのが怖かったのだ。

 その私が『種』を意識したことは予期せぬことであったが、同時に彼女との出会いは満を持して授かったもの、という実感もあった。待っていたのだと思う。これも個人的なことだがその頃、『時間をかけて待つこと』『見守ること』を最優先にしなければならない切羽詰まった生活の現実があり、その生き方と無関係に美術制作を位置づける欺瞞を感じていたのだ。

 さてそれから、さまざまな交流を経て、今年始めに『種』をキイワードにしたユニット”flugsamen”を結成した。ドイツ語のder Flug(飛ぶこと)とder Samen(種子)を合成し、ふたりで作ったことばだ。由来と言葉に込められた気持ちは彼女の文章にあるとおりだ。

 『飛行種子』は、ドイツから日本へ、日本からドイツへ、双方向のベクトルで行き交う種そのものの比喩であると同時にあらゆる人々に種を蒔く装置でもある。

 今回の『飛行種子』は写真とコトバだった。この共同作業はまだ始まったばかりでこれからも継続する。

『種』に続く『発芽』そしてその先のストーリーを想像する。私たちの中に、皆さんの中に。

乾 久子