works

 

 乾久子さんとの出会いは殆ど偶然といってよいものだった。そしてその偶然は、私にとって素敵な贈り物であることにまもなく気づいた。

 デュッセルドルフ市に隣接するメーアブッシには私が度々世話になっているコンラート メンターという画廊がある。
ある日メンター氏から「福島さん、日本からあなたの同僚が来るのですから是非オープニングに必ず来て下さいね。待ってますよ!」と電話がかかって来た。
私はオープニングには滅多に出かけないのだが、その日はそれでもなんとなく出掛けて見る気になった。
画廊に到着すると、すでに多くの鑑賞者が集まっていた。
ドイツ人の大きな背中越しにでも彼女の作品から静かなしかし芯の強さをあらわすオーラが私に届くのを感じた。。彼女の描く「線」が私の感性へと触手を伸ばしてくる。 帰りがけに画廊からさほど遠くない我が家に彼女を招待した。快諾をうけ、そして楽しい数日を過ごすことが出来た。その中で二人で何かしてみたいという話が発展していったのだ。日本を離れて、浦島太郎となってしまった私は、長いこと作品発表のための帰国はしていなかった。縦横の絆として危うくはかない糸しか持たない私には日本の状況がわからない。右も左もわからなくなってしまった、そんな私と楽しみを分かち合う仲間としての役を彼女は買って出てくれたというわけである。とてもありがたい事だ。

 そして今年はじめ、我々のユニット名をFlugsamen=飛行種子とすることに決定した。なぜなら、我々の作品は種のようなものであると思うからである。それはほんの小さな粒に過ぎないかもしれないが、意外な“場所”に到達して芽を出す可能性を含んでいるのだ。乾久子さんは日本で活躍する傍ら、ドイツに於いても発表を続けようとしている。つまり彼女の作品と彼女自身は日本とドイツを飛ぶ種子となる。私も同様ドイツから日本へ種を運びたいと考えている。そんな我々の気持ちを表す名としてのFlugsamen=飛行種子だ。

 今回ひとつの共同作品として“写真対話”を始めてみた。写真家では無い我々の写真はつたないスナップ写真である。しかし写真を“写真”として展示することが我々の目的ではない。日常の中で見つけたある風景や物を掬い上げてはインターネット経由でお互いに交換し合い、何気なく頭に浮かんだ一言を返したりする“対話”作業だ。この作業は今後も続けるつもりでいる。このインターアクティブな作業を続ける事によって見えてくるもの、輪郭は次第に明確に現れてくる物だと考えている。 まだはじめたばかりの“対話”であり、未熟な出だしではあるけれども、あえて第一歩として発表することが今大切ではないかと考えた次第である。

 我々の蒔き続ける種が何処にどんな風に芽生えるだろうか?

それは私たちの期待だ。

福島世津子